僕の祖母の孫の僕(^^)

カイコ日和

カイコのように静かに生きてます。月曜日生まれです。漫画好きです。

【小説感想・評価】「最近、天才多すぎじゃね?」と思ってる人は伊坂幸太郎の「あるキング」で悟りを開こう《84点/100点》

 

 

はじめに

 「とーきょーでぃずにーらんどをー♪ひとりじめー♪」というCMは1日に何度放送されるのでしょうか。初めてあのCMを見たときは女優と同じように「できるのー??」と素直な声を上げていた僕が、今では萌歌なのか萌音なのか分からないが彼女の人気が急降下しているのではないかと心配になる境地に達しています。あと、ひとりじめなのに一万人ご招待というのはどういうカラクリがあるのか気になるのですが、それを調べることすら何か放送側に踊らされているような気がするので、そんなことはしません。

 

 とまあ、この例を見ても分かるように「世の中のたいてのことは多すぎない方が良い」と僕は思います。

 

 そして近年この実害を被っているのが「天才」という言葉です。雑誌、テレビ、ネット記事等々あるゆる媒体で、あらゆるジャンル、「天才」と騒がれる人が増えていると思います。彼ら、彼女らが本当に「天才」なのかどうかはその分野の専門家でない僕は判断できませんが、もはやその「天才」かどうかの真偽関係なく、その言葉が使われすぎて、その言葉聞くと正直冷める、という人もいるんじゃないでしょうか。

 

 当たり前ですが、「天才」と言われている彼らは何も悪くありません。だからといって「天才」という言葉を使っている方たちが悪いということでもなく、誰が悪いという話ですらないと思います。ただそういう風になってしまっているんです。世の中は。実際「天才」かどうかは置いといて、社会の仕組みが才能ある人物を世に出しやすくなっている、ということも影響しているでしょう。

 

 しかし、一部の人間が「天才」という言葉に飽きているというのもまた事実。そんな人に読んで欲しいのがこの本「あるキング」(著:伊坂幸太郎)です。この本の主人公は「天才」ではありません。「王」です。王といっても国を統治してるとかではないです。才能がありすぎて、「もう王じゃん、はいはいキングキング」ってなります。この本を読み「王」と形容するほどの才能を知ると「天才飽和社会」に寛容になれます。やさしくなれます。やさしくなりましょう。

 

 

書籍の概要

あるキング (徳間文庫)

あるキング (徳間文庫)

 

 

あらすじ

 仙醍(せんだい)拠点のプロ野球チーム、仙醍キングスの熱烈なファンである両親から生まれた山田王求(おうく)。王求少年は、幼い頃からの野球の英才教育あってか、あるいはそういう運命なのか、並々ならぬ野球の才能を開花させていく。天才などという言葉では生やさしい、まさに才能だけで言えば野球の王と呼べるほどだった。そんな王求少年の人生を描いた物語。

 

感想(ネタバレなし)

 率直な感想としては、こういう本は好きな人はめちゃめちゃ好きなんだろうな、って感じですね。

 

 そして、まあ、僕はというと。そのめちゃめちゃ好きな方に分類される人間なんですねこれが。

 

 なんか伊坂幸太郎のこういう変な本って、やりたい放題な感じがして、予想とかできないんですよね。リアルを追求した本も嫌いなわけじゃないけど、こういう「もう何してくるかわからん!」ってなって、読んでる方を無防備の状態にさせる本は貴重だと僕は思います。

 

 あとがきで本人が書いてるように、伊坂幸太郎作品の中でも特殊な方だと思うんですけど、個人的な感想としては、漂ってる雰囲気は「オーデュボンの祈り」に近いのかなって思います。オーデュボン好きは必読です。

 

以下はネタバレがあるので、見たくない人は注意。

 

 

 

感想(ネタバレ注意!!

 この小説、まず語り手が特徴的です。王求を「おまえ」と呼ぶ誰かが王求の人生の大半の語り手となります。

 作中で王求の同級生がキュリー夫人の伝記を読んで

キュリー夫人が偉くなったのは、大人になったからなのに、どうして、子供の時の彼女の心情が克明に書かれているのか。それが不思議でならなかった。将来偉くなることを知っている誰かが、こまめに日記をつけるように、キュリー夫人の気持ちや出来事を記録していたのかもしれない。

出典 あるキング | 徳間書店

と考えるシーンがあるんですが、まさにこの小説の語り手は王求少年の人生を記録していたかのように語ります。とまあこの語り手がいる理由とかもちゃんとあるんですが、単純に僕はこの語り口がなんか新鮮で好きでした。伊坂幸太郎のレトリックとこの独特な語り口がうまく噛み合っていたと思います。

 

 ストーリーもさすがです。王求はプロ野球選手となり打率7割台と才能を発揮させます。だいたいプロ野球では3割だと十分好打者、4割台ならスーパースターです。他にも王求は連続ホームラン記録などを樹立させます。しかも相手ピッチャーのほとんどは勝負を避け敬遠しているのでたまにしか来ないストライクの球を打っての記録です。

 

そんないかつい才能を持った人間に周りはどう反応するのか?不快感を示します。なぜか?野球という競技が面白くなくなるからです。今まではみんながある程度同じ技量で戦っていたスポーツだったから楽しかったのに、パワーバランスを崩すほどの人物が現われると野球自体が成立しなくなる恐れが出てきます。スポーツは競るからこそ面白いのです。才能がありすぎるものは邪魔者になります。読んでいるともちろん細かいところはフィクションならではのところもありますが、大枠としては実際に才能がありすぎる人間が現われたら煙たがれるんじゃないか?と思わせる説得力があります。

 

 そんな才能を持ちすぎた人間の人生を描いた物語です。これを読むと、才能でもなんでも多すぎることは良くないなと思いました。

【小説感想・評価】「死神の精度(著:伊坂幸太郎)」《81点/100点》

 

書籍の概要

死神の精度 (文春文庫)

死神の精度 (文春文庫)

 

 

あらすじ

(1)CDショップに入りびたり(2)苗字が町や市の名前であり(3)受け答えが微妙にずれていて(4)素手で他人に触ろうとしない——そんな人物が身近に現れたら、死神かもしれません。1週間の調査ののち、対象者の死に可否の判断をくだし、翌8日目に死は実行される。クールでどこか奇妙な死神・千葉が出会う6つの人生。解説・沼野充義

出典 文春文庫『死神の精度』伊坂幸太郎 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS

 死神・千葉シリーズの一作目。死を迎える一週間前の人間を観察して、その人間が死に値するかどうか見極める職業?の死神。死に値すれば「可」、死ぬべきではないと判断すれば「見送り」と報告するのが仕事。しかしほとんどの死神はしっかりと精査せずに、やる前から「可」を出すことを決めている。そんな死神の1人である「千葉」の短篇集。

感想

 伊坂幸太郎はとにかくおしゃれ。会話にしろ、地の文にしろ読みやすさを残しつつ、ニヤリとさせる表現が多い。

 

 そして今回の「死神の精度」は設定がおしゃれ。死神という設定自体はありふれているが、その死神は力が抜けていて、空き時間にはレンタルCDショップに入り浸るというなんとも親しみやすいキャラクター。

 

 物語は千葉が対象者、すなわち一週間後に死ぬであろう人物に接触し、その人間と千葉の周りで起こる一週間の出来事だ。その物語は、ヤクザ間のいざこざであったり、片思いする男の話であったり、さらには洋館で次々と人が殺される連続殺人事件、などなど実に多種多様。

 

 死神という設定がなくても、これらの物語はそれら自体が十分おもしろい。なぜなら伊坂幸太郎なのだから。軽妙な掛け合い、魅力的なキャラクター、飽きさせない物語の描き方。

 

 しかし、この「死神の精度」が面白いのは、それらのよくできた人情もの、恋愛もの、ミステリーものが全て死神視点で書かれているところだと思う。

 

 しかもその死神の設定が不安になる。基本的に千葉は人間に興味がない。なので困っている対象者を積極的に助けたりしない。ほとんど傍観者に徹する。そんなやつが物語の語り手なので面白くなるのか心配になるが、しっかり、ちゃんと、めちゃくちゃ面白い。

 

 普通に書いても面白い多ジャンルの物語を、死神・千葉の目を介して描かれる。それによって全く違った感慨が生まれる。そういう不思議な本だ。

 

 

【小説感想・評価】「鍵のない夢を見る(著:辻村深月)」《84点/100点》第147回直木賞受賞作

 

書籍の概要

鍵のない夢を見る (文春文庫)

鍵のない夢を見る (文春文庫)

 

あらすじ

望むことは、罪ですか? 誰もが顔見知りの小さな町で盗みを繰り返す友達のお母さん、結婚をせっつく田舎体質にうんざりしている女の周囲で続くボヤ、出会い系サイトで知り合ったDV男との逃避行──。普通の町に生きるありふれた人々に、ふと魔が差す瞬間、転がり落ちる奈落を見事にとらえる五篇。現代の地方の閉塞感を背景に、五人の女がささやかな夢を叶える鍵を求めてもがく様を、時に突き放し、時にそっと寄り添い描き出す。著者の巧みな筆が光る傑作。第147回直木賞受賞作!

出典 文春文庫『鍵のない夢を見る』辻村深月 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS

 

感想

 まずは各篇ごとの感想

・「仁志野町の泥棒」

律子みたいに明るくて、話がおもしろい子に限ってややこしい事情を抱えてるところが妙にリアル。小学生から見た大人の問題って、確かにこんな感じだよねとなんか共感するところもあった。でも小学生が視点だからこそ、詳しいことはよく分からないところが出来事をより気味悪くしている気がする。終わり方は個人的にはとても好き。

 

・「石蕗南地区の放火」

読み手の感情として、共感から違和感に徐々に変わっていくのが不思議。でも最後まで完全に主人公の気持ちを否定しきれないのが個人的な印象。読んでると主人公の考え方にイラつく人が多そうだけど、なんか人間ってこんなもんだよねとも思う。

 

・「美弥谷団地の逃亡者」

 初めは普通にカップルが海にでも来てるのか、と思っていたら...的なミステリーチックな物語。でもそれだけじゃない、主人公とその彼氏に感じる不気味さはやっぱりある。特に読み終わってから、陽次が「相田みつを」を好きだったことを考えると悲しくなるし、無力感を感じる。

 

・「芦葉大学の夢と殺人」

夢を見続けられるのも才能だよね、でもその才能は夢を実現させる才能とは別にあるよね、っていう物語。この話のメインのキャラは未玖と雄大の二人だけど、個人的には全篇通して、雄大が一番きらいだった。そして未玖は二番目にきらい。でも物語としては一番面白い。だから凄い。普通は嫌いな二人の物語なんて興味ないけど、やっぱりどこかで共感してしまうところがあるのか、物語の運び方が巧いのか、一気に読んでしまう。

 

・「君本家の誘拐」

子育てのしんどさがひしひしと感じられた。他のに比べるとまだマシだが、この主人公も節々で気持ち悪さは出ていた。ただ心理描写が非常に丁寧なので、やはりなんとなく理解できるところはある。

 

全編通して、不気味な雰囲気を感じさせる作品だった。しかもとんでもなく異常なわけではなく、身近に潜む不気味さが漂っていた。ほぼ全ての主人公がどこかズレているのに読めてしまう、キャラクターだけでなく、小説としても独特の存在感がある。読後感は清々しいものではないけど、自分も含めて好きな人は多いと思う種類の作品。

【小説感想・評価】「世界から猫が消えたなら (著:川村元気)」が「存在の意味」を問う《70点/100点》

 

書籍の概要

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

 

 川村元気の作家デビュー作となった小説。川村元気は映画プロデューサーで、「電車男」「告白」などをプロデュースした。

 

あらすじ

郵便配達員として働く三十歳の僕。ちょっと映画オタク。猫とふたり暮らし。そんな僕がある日突然、脳腫瘍で余命わずかであることを宣告される。絶望的な気分で家に帰ってくると、自分とまったく同じ姿をした男が待っていた。その男は自分が悪魔だと言い、奇妙な取引を持ちかけてくる。
「この世界からひとつ何かを消す。その代わりにあなたは一日だけ命を得ることができる」
 僕は生きるために、消すことを決めた。電話、映画、時計……そして、猫。
僕の命と引き換えに、世界からモノが消えていく。僕と猫と陽気な悪魔の七日間が始まった。 

出典 小学館文庫「世界から猫が消えたなら」 著/川村元気

  

見どころ

 見どころ1 主人公の葛藤シーン

 自分の命とモノを秤にかけたとき、秤は果たしてどちらに傾くか?

 

 非常に難しい問いではありますが、主人公はまさにこの選択に迫られます。

 やはりこの難題への主人公が葛藤するところは1つの見どころでしょう。主人公を自分に置き換えて、自分ならどういう答えを出すだろう?と考えながら読むと、より楽しめる作品だと思います。

 

 見どころ2 名言が多い

 上述した主人公の葛藤から生まれる、なるほどと思わされる言葉の数々も本作をより楽しめるものにしています。

 1つだけ紹介したいと思います。

「あってもなくてもよいもの」こそがこの世界にとって重要なものだとさえ思えてくる。無数の「あってもなくてもよいもの」が集まり、その外形を人型にかたどって「人間」というものが存在している。  

出典 小学館文庫「世界から猫が消えたなら」 著/川村元気

 物語の中盤で語られる言葉です。この境遇の主人公だからこそ出てくる言葉だと思いました。

 

 見どころ3 消えるからこそ際立つ存在価値

  様々なものの喪失とともに物語は進みます。電話、映画、時計の他にも人の死という喪失、人との別れという喪失。しかし、「失って初めて分かる大切さ」という言葉を体現するように、主人公はそれの喪失をきっかけにそれらについてより深く考えます。

 題名にもあるようにやはりこの「消える」「喪失」はこの作品のテーマでしょう。この「喪失」させることによってそれについて考えさせるという手法も見どころの1つです。

 

総評

 著者が映画プロデューサーということで、難しい言葉や表現も特にない、しかし喪失からモノの価値を問うというテーマもしっかりしている。ページ数も全体で200ページちょいと非常に読みやすく、普段から読書になれていない人にもおすすめできる作品でした。

  

 

扇風機の【弱】は全然【弱】じゃねえ。もう一段階弱いのがほしい。

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【弱】は本当の意味での【弱】ではない

はい、まあタイトルの通りですね。

「扇風機の【弱】、ちょっと強くね?」

と僕は言いたいんですよ。

ほぼ詐欺なんですよ。

だって【弱】って書いてるんだもの。

【弱】と書いてて【弱】じゃないないんだもの。

 

こういうことを言ってたら

「人それぞれだろうが!」

「自分にあう強さの扇風機買えや!」

 

と思われるんでしょうけど、まあそれはそうなんですよ。

自分のことさえ考えてりゃそれで解決するんですよ。

世の中に星の数ほど売られてる扇風機から探せば、【弱】がちゃんと自分の理想の【弱】にコミットしてる扇風機も見つかるでしょう。

僕がこんなところでこんな文章書かなくたって、ほとんどの人は困らないし、世界は扇風機と同じようにちゃんと回り続けるんですよ。

 

でもね、僕は思うんですよ。それでいいのか?って。

僕と同じように【弱】が【弱】じゃないことに苦しんでる人もいるんじゃないか?って。

そういう【弱】者の方々が、この文章を読んで共感して少しでも気持ちが楽になってほしい、そんな気持ちでノートパソコンをひらいた次第です。

 

【弱】もっと【弱】にしちゃいなよ 

扇風機にもいいところ沢山ありますよ。

首振り機能とかタイマー機能とか大変素晴らしいんですよ。

だからこそ初歩の初歩、風の強さという点で満足できないことが悔やまれる。

 

暑さを凌ぐのとは別に、強い風がずっと当たってるのは妙な不快感があるんですよ。

暑さを和らげるために風を強くしても、かゆいところに手が届いてない感覚というか。

だから扇風機つけてもすぐに切っちゃうことが多いんですよ。

 

おそらくめっちゃ微風を長時間当てられてるほうが涼むと思うんですよ。

その役割を【弱】が担えよ!と僕は言いたい。

 

あとね、【強】はマジで誰も使ってねえ。

使ってる人いるんですか?

僕は何度も「さすがに暑いから【強】にしたろ」と思い、【強】のスイッチを押しますが、いつも30秒ぐらいして「つ、つえぇ...」となります。そして【切】のスイッチに手を伸ばします。

 この現象は僕だけですか?

僕だけ【強】の使い方が分かってないんですか?

 

 結論

結局、僕が言いたいのは【弱】をもっと弱くして、【中】を今の【弱】にして、【強】を今の【中】にすりゃ万事解決だねってことですよ。

困るのは「【強】を主に使ってます(笑)」とか言っちゃう僕の親父、あなたの親父、彼の親父、彼女の親父、とにかく全国の親父だけですよ。

さっき誰が【強】使ってんだって言いましたけど、確実にこの人たちですよ。

【強】ってのは親父の為だけに存在するスイッチですよ。

【強】のスイッチには親父の指紋しか付いてませんからね。

もう潔く【強(親父用)】って表記してください。

ふざけんなよ。

あと、親父はいびきがうるせえ。

 

ことわざ作ったのだーれだ?

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村上春樹とかミスチルとかも作れると思いますよ

ことわざってあるじゃないですか。今あることわざって多分昔の人が作ったんでしょうけど、昔の人が作ったものだけを使ってるのって不思議じゃないですか?今でも普通に使うものなのに、新しいことわざって作られてないと思うんですよ、完全な推測だけど。なんか日本ことわざ製作委員会とかないんですかね。いや、別に作って欲しいわけではないんですけどね。ただ昔の人にしか作る才能がないみたいじゃないですか。いや昔の人がすごいのは分かってるんですよ。紫式部はすごいよ。わかってるよそんなことは。でも源氏物語も面白いけど、タッチも面白いよねってことですよ。あだち充も秀逸なことわざ作れると思いますよ。も、って言ったけど別に紫式部がことわざ作ったわけじゃないと思うけど。

 

良い先生でしたけどね

で、さっきも言ったんですけど別にことわざを作って欲しいわけじゃないんですよ。だってことわざって都合良すぎるんですよ。なんか自分の論を補強するときとかに「こういうことわざもあるから僕の考えはあってますよね?ことわざが言ってるから間違ってるわけないよね?だってことわざだよ?わかる?ことわざ?」的なね、まあだいぶ悪意のある捉え方をすれば、こういう使い方をされるんですよ。

まあ確かにね、ことわざが正しいときもありますよ。「雨降って地固まる」の通りになったこともあるし、「急がば回れ」が正しかったときもあります。でも、「雨降ったせいでそのまま土砂崩れ」になったり、「急がば直進」が正しかったときもあるんですよ。それでそういう時はことわざの野郎はね知らんぷりなんですよ、「間違ってたわ、ごめん」って詫びの言葉がないんですよ。結果的に正しい時だけ「な?地固まったやろ?」のどや顔ですよ。たまったもんじゃないですよ。

つまり、ことわざっていうのは合ってるときもあるけど間違ってる時もあるくせに、合ってる時にだけ使える便利なものなんですよ。

なにが言いたいかっていうと、そんなあやふやなものを国語便覧に載ってる分全部覚えさせてきた中学の頃の国語の先生は、厳しすぎるんじゃないですか?ってことです。

 

自業自得とも言う

とまあ色々言いましたが、九割くらい冗談なんでまあ聞き流してください。聞き流してもらわないとね、僕もふつうに使っちゃうんでね、ことわざ。そんときにお前も使ってるやんけとか言ってくるでしょ?やめてくださいね、そういうの。まあ、「身から出た錆」ですね。。。。今回はここをオチとします。

おしゃれ髭の人って、伸ばす期間はどこかに隠れてるんですか?

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髭の再生力を知ったとき

僕は今、21歳を過ぎたあたりだ。まだまだ若いし、まだ社会にも出てないガキだが、小学生のときから比べると、自分も十分変化しているのが分かる。

 

小学生のころは、虫は平気で触れたし、スーパーサイヤ人にいつかなれると思っていたし、1番面白い単語は「うんこ」だった。それが今では、カマキリですら苦手になったし、クリリンにさえなれないし、「うんこ」は4番目くらいに降格されたしで、これらが良い変化か悪い変化かはわからないけれど、自分も大人に近づているのを感じる。おそらく死ぬ頃には「うんこ」がおもしろ単語ランキングでランク外になり、「ナックルカーブ」あたりの単語が1位になっているのだろう、と思う。話が逸れたが、とにかくそういう自分の変化に気づくたびに、驚くことが多い。

 

その変化の内の1つが髭だ。多分男性としては若干遅い方だと思うが、1年前の20歳くらいから髭が顎や口周りで目立つようになった。それに気づいたときは

 「ああ、そっかぁ、髭って生えるねんなぁ」

と、アホみたいに当たり前な感想が湧いた。そこからちょくちょく髭剃りをするようになった。しかし、しばらくたってあることに気づいた。

 「え、髭生えるの早くないか」

昨日髭を殺したはずが、アンダーグラウンドに沈めたはずが、次の日にもう地上にカムバックしとる!何度引退宣言をしてもすぐに撤回して戻ってくる宮崎駿かのごとく、次の日には平然と生えている。いや宮崎駿はまだ多くの人が待ち望んでいるから良いとしても、髭は望んでないのにカムバックだからたちが悪い。僕は髭の再生する早さに驚くとともに、自分が知らないところで世の中の男性がこのスピード感の髭と付き合っていたことに、感心した。

 

 なら引退宣言しなければいい

しかしこの髭の魔の手から逃れられる方法が2つあることに僕は気がついた。1つが永久脱毛だ。だがこれは金と手間がかかるので初手としてはあまり良いとは言えない。そう、初手としては「伸ばす」がベターだろう。

 

皆さんの周りにも1人、いや複数人はいるだろう、supremeの白いTシャツを着て、つばがまっすぐの黒い帽子を被っていて、そして髭がおしゃれに生えてる彼ら。僕は彼らになりたい。だって彼らになれば髭をプラス要素に変えられるから。宮崎駿もそもそも引退宣言をしなければ撤回することもなくなるから、という理論だ。しかし宮崎駿も髭はボーボーなので、こと髭に関しては引退宣言をしていない。彼を例えに出したせいで話がややこしくなっているので、宮崎駿のことは新作がでるまで忘れることにしよう。

 

とにもかくにも僕はおしゃれ髭を目指すことに決めた。

 

伸ばしてる間はどうすればいいのか?

髭を伸ばし始めて、4日、5日が経った。ふいに思う。

「これは割と時間かかるやつやな?」

前述したことと矛盾するようだが、正直おしゃれ髭のレベルにするには髭の成長速度が少々物足りなく感じる。まあ人間というのは、お母さんが授業参観に来ればうざく感じるし、来ないとそれはそれで少し寂しくなるということからも、常に何か相反するものを抱えて生きているというのは明らかだろう。だからまあ、時間がかかるのは我慢して、ここは焦らずじっくり生やそうじゃないかと考えていた。

 

しかし時間がかかるという問題よりも大きな問題が浮上。当たり前だが髭を伸ばしている期間は髭が伸びている。しかも髭が無造作に伸びている。これはとてもだらしない。そう、おしゃれ髭へと続く道を歩いている間の状態が最もおしゃれじゃないという、なんとも皮肉な状態だ。この髭のままで外に行かなければならないのか、と苦悶の日々が続いた。

 

でも驚くことに僕は今までそんな、髭が剃られてもおらず、かつおしゃれでもない、おしゃれ髭途中の人に会ったことがない。何でだろうと、僕は不思議でたまらない。髭を完全に剃っている人と伸びきっているいる人はいるのに、その途中髭の人がいない。途中式がないのだ。計算結果しか載せない解答みたいなものだ。ヒヨコとニワトリの間の状態を見たことがないのと同じだ。その間はどこにいるんだ?supremeTシャツでまっすぐ帽子な彼らは根っからのおしゃれなのでそんな無造作な髭を人前にさらすはずが無い。さてはあれだな、なんかそういう途中髭のやつらだけが入れるシェルターみたいなのがあるんだな?国ぐるみで隠してんだな?僕も入れてください。。マジで。そういうシェルター見つけた人は僕にご一報ください。