僕の祖母の孫の僕(^^)

カイコ日和

カイコのように静かに生きてます。月曜日生まれです。漫画好きです。

ワールドトリガー 名エピソードランキングベスト5

ワールドトリガーのオフィシャルデータブックには、ファン投票によるベストエピソードランキングというものがある。それの個人バージョンということで、僕の好きなエピソードを絞りに絞って、ベスト5という形で紹介したい。

 

5位 「第101話 空閑遊真⑫」

B級ランク戦、玉狛第二vs鈴鳴第一vs那須隊での村上鋼vs空閑遊真の戦い。

集団戦が醍醐味のワールドトリガーで、いきなり個人対決を出すのもどうかと思うが、ランク戦の中でも特に好きなのでランクイン。強化睡眠記憶というサイドエフェクト持ちの鋼さんと渡り合うために、遊真は、かつてレプリカとそうしていたように、戦闘の復習をする。頭の中でレプリカと対話しながら対策を立てるシーンでは、2人で積み重ねてきた重み、信頼関係の深さが垣間見えて、レプリカがいない切なさが増す。

グラスホッパーを相手に踏ませるという戦法でまず驚かされ、スコーピオンで水中での機動力を上げるという驚き二段構えの戦闘も文句なしの出来だと思う。ヴィザとの戦いもそうだが、遊真の工夫のある戦い方は、ワールドトリガーの面白みの1つとなっている。実戦経験豊富という設定の遊真が、実際に多彩な戦法を使う場面が多いのも、設定負けしていなくて良い。

 

4位 「第71話 大規模侵攻⑱」

大規模侵攻で、基地内に侵入してきた人型近界民エネドラとの決着の1話。

忍田さんが研いできた牙を披露し、歌川と菊地原が15話ごしのリベンジを果たし、風間さんが神先輩ぶりを見せつけ、笹森が25話ごしに報われるという、5人の見せ場を同時に作る中々の欲張り回。

風上に立つ忍田さんのコマは神々しさすら感じる。こういうベテラン強キャラが活躍する場面は、どの漫画でもワクワクする。歌川と菊地原がエネドラを仕留めるのも良い。しかし何と言っても、一番はラストの風間さんの笹森に対するねぎらいの言葉だろう。単体ではたいしたセリフに見えない「「いい陽動だった」……以上だ」という簡素なセリフが、「じゃあ勝手に突っ込んで死ね」というワールドトリガー史上最も過激な発言があるおかげで、相対的に暖かみが感じられるようになる名場面だ。

 

3位 「第60話 大規模侵攻⑩」

大規模侵攻、人型近界民ランバネインとボーダー隊員との戦い。

 米屋、出水、緑川というそれまでに敵として戦った面々が味方になるとここまで心強いのか、となる、これまたワールドトリガーならではの楽しみ方のひとつ(94話での来馬先輩の言葉でも触れられる)。しかし正直なところ、ここにランクインした理由は、個人的に米屋が好きだからというのが大きい。「……と思うじゃん?」からの「こっちは「部隊(チーム)」なんで…悪いな」がかっこよすぎる。「こっちは「部隊(チーム)なんで……悪いな」というセリフが何故か頭の中でリフレインする。セリフとしての語呂とリズムがいいのと、米屋が言いそうなセリフというのも大きいのかもしれない。

 

2位 「第79話 大規模侵攻㉓」

大規模侵攻編のクライマックス。三輪の風刃起動が見られる1話。

大規模侵攻ばかりだが、ランク戦が嫌いなわけではない。むしろランク戦こそワールドトリガーの面白さがつまっているのだが、さすがにこの話を入れないわけにはいかない。

三輪×風刃のかけ算によって生み出された神回。面白くならないわけがないかけ算だ。三輪×風刃のかけ算によって生み出された神回。三輪×風刃のかけ算によって生み出された神回。あと3回は同じ文章を繰り返してもいいが、長くなるといけないので、あとは各自で3回声にだして読んどいてほしい。いや、やはりもう一度言っておこう。三輪×風刃のかけ算によって生み出された神回。

そもそもワールドトリガーには尖ったキャラクターが少ない。そんな中、数少ない尖りキャラの三輪がここ一番、ほんとの最終局面で、修を助けるために風刃起動という最高に胸熱で、最高にツンデレなシーンだ。ツンデレシーンまで演出できる風刃は、さすがは黒トリガーと言わざるを得ない。79話のラスト3ページの遊真と三輪が同時にレプリカに声をかけ、遊真がハイレインに狙いを定め、三輪が風刃を起動する一連の流れは何度見ても鳥肌が立つほどかっこいい。少年漫画らしい熱さが感じられる名場面だ。

 

1位 「第80話 レプリカ③」&「第83話 空閑遊真⑩」&「第85話 三雲修⑪」

80話・・・レプリカが敵の遠征艇を飛ばし、修と千佳を守る。

83話・・・大規模侵攻後1週間の眠りから覚めた修が、遊真と屋上で話す。

85話・・・大規模侵攻後の記者会見で修が演説する。

これらは同率1位という意味ではない。この3つで1つという意味だ。エピソードランキングなのに3つを1つとするなんて普通はなしだ。しかしありということにする。

この3つの話はつながっている。まず80話で、身を挺して千佳を守ったレプリカ。残ったのは動かなくなったちびレプリカだけだ。悲しい。

そして83話で自分の力不足を悔いる修。そんな修に対し、「あいつはその頼みに100%応えた。さすが俺の相棒だ」とレプリカを讃える遊真。

そして85話で記者の前での演説後、修の遊真に対する「やるぞ、相棒」というセリフ。これは83話の遊真の「さすが俺の相棒だ」というセリフを受けてのものであると思う。しかしこの2つのセリフだけでは、レプリカという相棒がいなくなる原因を作った修が勝手に新しい相棒を名乗る、というただの図々しいシーンになってしまう。

しかし、80話を読み返すと、レプリカの別れ際の「オサム、お別れだ、ユーマを頼む」というセリフがあることによって、レプリカが修に遊真を託していることが分かる。その後、遊真がレプリカのことを相棒と呼ぶ83話。この2つの流れを受けて、修が自らを遊真の相棒と名乗るシーンは、単に修が調子に乗っているのではなく、遊真の相棒が正式にレプリカから修にバトンタッチされていることが分かる非常に味わい深いシーンなのだ。これらを考慮すると、この3つの話は1つのセットとなっていて、これを1位にするほかない。

また、ワールドトリガーの単行本の表紙は基本的に単体キャラだが、この3つの話が収録されている10巻のみ修とレプリカと遊真の3人セットになっている表紙というのも感慨深いものがある。

 

以上が僕の選ぶエピソードベスト5だ。本当はベスト10くらいまでやりたかったが、今回は1つのエピソードに対するコメントを長めにしたため、ランキング自体は少なくした。さっきも言ったとおりランク戦も好きなのだが、どうしてもエピソードランキングにすると大規模侵攻編に偏ってしまった。申し訳ない。

以上、長文を最後まで読んでくれてありがとうございました。

 

ワールドトリガー 10 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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ワールドトリガー コミック 1-21巻セット

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ワールドトリガーの魅力を語りたい

ワールドトリガーが好きだ。今連載中の漫画では3本指に入る。ということで、ワールドトリガーの何が面白いのかを伝えたいと思う。

 

まずはあらすじ。

ある日、三門市は「近界民(ネイバー)」という異次元からの侵略者に襲撃される。しかし界境防衛機関「ボーダー」と名乗る組織が「近界民」に立ち向かい、人々を救った。それから数年後、三門市に住む中学生の三雲修が、不思議な少年空閑遊真(くがゆうま)と出会うところから物語が始まる。

 

以下、ワートリの魅力

読んだことのない人にも、できるだけ伝わるように、漫画内の用語は多用しないようにしてます。

 

 

キャラ設定の上手さ

 ワールドトリガーはキャラが多い。どこまでを主要キャラと捉えるかにもよるが、名前が作中で出てきて、しっかりと登場するのは100人前後に及ぶ。ワンピースもたいがい多いが、ワンピースは95巻だ。一方ワールドトリガー、既刊21巻。21の100。いかつい数字だ。この数字だけ見た人は、そんなにキャラが多いと誰が誰だか分からなくなるのでは......と思うじゃん?

 確かに最初はキャラが見分けられなくなるときもある。でも大丈夫。ワールドトリガーはキャラの関係性を描いてくれる。結局人間は、その人が他の人とどういう関係なのかを知った方が印象に残るし、覚えやすい。読んでいくうちに、そのキャラがどのチームで、ポジションは何で、とかを勝手に覚えていくのでキャラを混同することがなくなる。

 

 また、地味なキャラ付けがほんとに上手い。例えば穂刈(通称ポカリ)というキャラがいるのだが、最初読んだときは目立つキャラでもないので、穂刈に対して何の印象も持っていなかった。しかし、ある時こいつがよく倒置法を使ってしゃべっていることを知る。それからこいつのセリフに注目して読み返してみたら、よくなんてレベルじゃなく、ずっと倒置法でしゃべってた。全セリフ余さず倒置法だった。なんか分からんけどめっちゃ笑った。それからはポカリのセリフを注視するようになった。他にもキャラ付けとして派手ではないが、キャラに個性を持たせる設定としては秀逸なものが多い。王子のあだ名センスとかすごい好き。

 

死なないという設定

 ワールドトリガーは、トリオン体に換装して戦闘を行なう。トリオン体は、実体ではないので斬られても痛くないし、血も出ない(痛覚は損傷箇所が分かる程度にはある。完全OFFも可)。また、トリオン体が戦闘不能になると、「緊急脱出(ベイルアウト)」というシステムによって自動的に基地に戻ることができる。つまり、ほとんど死ぬことがない。これは一見緊張感がないように思える。しかし、死ななくても緊張感は作ることができる。敵に捕縛されれば、捕虜か兵士にされ、こちらの世界に帰ってくることは難しくなる。つまり、捕まったらアウトなのだ。これは十分緊張感を作る要因になり得る。

 

 一方、切断しても死なないというのは利点でもある。多くの少年漫画では、剣で斬っても切断しない。表面だけ斬っていることが多い。それによって倒れたと思ったキャラが気合いで立ち上がってくることがある。そして、まだ息があるのか!?と驚く敵。よくある展開だ。いわゆる根性論が通用してしまう。しかし、ワールドトリガーは死なないからこそ、首ちょんぱや弾丸で体を蜂の巣にするのが許される。首が無くなれば、根性があってもどうしようもない。戦闘はよりシビアになる。僕はこっちの方が緊張感があると思う。

 

競技としての集団戦

よく、ワールドトリガーは集団戦が上手い、と言われる。この表現は正しいんだけど、個人的にはしっくりこない。そもそもここまで集団戦に特化した戦闘漫画を他に知らないので、比較のしようがないというのが正直なところだ。

物語の大半を占めるB級ランク戦。ランク戦とはボーダー内で行なわれるチーム同士の模擬訓練のことだ。ランク戦にはさまざまな要素がある。

  • 1チーム3人~5人編成。チーム内では近接型、中距離型、遠距離型、サポート役としっかりポジション分けされている。1回のランク戦で3チームまたは4チームが闘う。
  • 敵を1人戦闘不能にすれば1ポイント加算。最後の1チームとして生存すれば2ポイント加算。
  • 武器にはさまざまな種類があるが、自分のトリオン量(ナルトでいうチャクラの量だが、もう少し正確な量が決まっている)によって持ち込める武器にも制限がつく。
  • 下位のグループには地形の選択権があるので、自チームに有利な地形、あるいは地形に合った作戦を前もって考えられる。逆に上位チームはその場での対応力が問われる。

等々、挙げるとキリが無いほど、システム自体が細かいルールまで決まっている。その細かい要素が上手く絡み合い、集団戦が面白くなっている。ワールドトリガーには、バトル漫画の要素もありつつ、このようなスポーツ的な側面もある。個人的には、単に集団戦を描くのが上手いだけでなく、集団戦を競技に落とし込むための、緻密な設定作りが作者・葦原先生のすごいところであり、ワールドトリガー独自の面白さにつながっていると思う。

 

カバー下

単行本のカバー下を読めば分かる。作者の語彙センス。最新巻を買った時は、最後にカバー下を読むのがいつも楽しみだ。お気に入りは、二宮さん、加古さんからの黒江、そして本物の悪、太一。

 

オペ子

かわいい。お気に入りは宇佐美、今結花、マリオ。かわいい。

 

木虎

かわいい

 

小南

好き

 

ワールドトリガー コミック 1-21巻セット

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貧乏ゆすりが脱糞扱いされる現代日本

貧乏ゆすりというものは、その悪意的命名から見ても社会的地位がとても低い。人々は貧乏ゆすりを卑しい行為だと認識している。なぜなのか?貧乏ゆすりで机が揺れたりして実害がある場合なら分かるが、ただ貧乏ゆすりをしているのを見るだけで不快になるという感情は、僕には理解できない。

 

人に食べ物の好き嫌いがあるように、何を不快に感じるかも人それぞれなので、この差異を埋める必要はない、と個人的には考えている。しかし、貧乏ゆすりが嫌いな人達はそう考えていないのが問題だ。彼らは「貧乏ゆすりは行儀が悪いものだからやめるべきだ」、という理屈というよりかは感情論に近い考えで、僕から貧乏ゆすりを奪う。

 

そう、僕は貧乏ゆすりが好きなのだ。ずっとしたい。めっちゃ気持ちいい、あれ。自分の肉体の一部であるはずの足が、己の意識から解放されて、規則的かつ永続的に刻み続ける一定のリズム。ただ足が動いているだけなのに感じる謎のエクスタシィ。それでいて手軽かつノーリスク。酒や性行為、ドラッグなどは快感を得られる分、手間と危険が潜んでいる。でも貧乏ゆすりは、金はかからないし、脳も壊れないし、望まぬ妊娠もないし、賢者タイムで死にたくなることもない。そんな超安全合法ドラッグを縛るのは法ではなく、無遠慮で浅薄な他人の常識。

 

先日、気心が知れた友人と飯を食べていると、突然ピシャリと言われた。

「貧乏ゆすり。」

 

「ごめん、貧乏ゆすり気になるわ」でもなく、「貧乏ゆすり、やめてくれへん?」でもない。貧乏ゆすりという体言オンリーだ。その言葉の後ろには、大多数の人が貧乏ゆすりを嫌いだという理論に後ろ盾された「やめろ」という文言が隠れていることは言うまでもない。

 

僕はそのあまりに横暴な咎められ方に、自分は野糞レベルのことをしてるのだろうか、と錯覚した。

「野糞をするのはダメだろ?野糞、やめろ。ノグソ、ダメ、絶対。」

そう言われているような気がしたのだ。そうか、野糞か、貧乏ゆすりは野糞なのか。こいつらにとってはそうなのか。と、不思議と冷静になった。

 

でもだからこそ、そこで気づいてしまった。多くの人が「貧乏ゆすりは卑しい行為だからやめるべきだ」と考えているのと同じく、僕もまた「野糞は卑しい行為だからやめるべきだ」と考えていたのだ。そしておそらく自分の前で、例えば父親が、野糞を始めたら非難するだろう。

「野糞。」

などと、冷静にかっこつけて言う暇もなく、激しく非難してしまうだろう。そう、父親にとって野糞は卑しいものではないかもしれないのに。野糞は父親にとって、快感を得る手段なのかもしれないのに。ごめんなさい、お父さん。ごめんなさい、野糞をする人達。

 

これからは野糞をしている人を見かけたら「存分に楽しんで下さいね」と言おうと思う。

日常の中の眼鏡

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眼鏡を買いに行った。

先日車の免許を取ろうと申し込みに行ったら、視力検査で引っかかったからだ。

 

 

 

朝の10時半頃に眼鏡屋を訪れた。対応してくれたのは若い女性の店員だった。24、5歳といったところか。眼鏡はしていなかった。ならコンタクトをしているのだろう。眼鏡屋の店員が眼鏡もコンタクトもしていないなんて、世の摂理に反するからだ。

 

 

 

 

とりあえず視力検査をすることになった。少し緊張した。

 

はっきりと見えていなくても、当てずっぽうが当たると、自分の目が過大評価されてしまう。

 

だからといって、分かりませんを連発するとなんだか自分がアホに思われる。

 

僕はアホだと思われるのを極端に嫌う。

 

理由は、アホだからだ。

 

とにかく回数制限のある分かりませんの使い道に苦労した。

 

最終的には、分かりませんの回数を抑えつつ、答えるときも過大評価を避けるために、「うえ?いや、み、いや、、う〜ん、うえ」などと自信のなさを演出するようにした。

 

たぶんアホだと思われた。

 

 

 

 

検査が終わると、眼鏡のデザインを選ぶよう言われた。

どれも同じに見えた。やはり自分の眼は悪いらしい。

必死に自分の眼に念を込めてみたが(すなわち「凝」を試みた)、結局それらの違いはよく分からなかった。

迷った挙句、NEW!!と書いてあるものを選んだ。

NEW!!なら間違いがないと思ったからだ

(特に「!!」の所が)。

 

 

 

 

眼鏡が完成するまでに30分かかると言われた。11時45分に来てくれれば良いと言われた。仕方がないので近くのユニクロで時間を潰した。

 

 

 

 

 

 

僕は時間に正確なのでちょうど11時45分に行こうとしたが、あまり正確だと気持ち悪いと思われるので、正確に2分遅れの11時47分に眼鏡屋に戻った。

 

レジの所に行くと、40代くらいの男の店員がいた。店長だろう。

40代で男というだけで僕は店長だと決めつける癖があるのだ。

 

受け取るだけなのでその人に話しかけた。5メートルくらい離れたところに先ほどの女性店員がいて、話しかける直前にふと目が合い、なぜだか気まずくなった。

別にさっきと同じ店員に話しかけなければいけないというルールはない。だから何も悪くないのだ、と自分に言い聞かせた。

 

 

 

 

店長に最後の調整をしてもらった。店長は眼鏡をしていた。店長なので眼鏡の下にコンタクトもしているかもしれない。店長くらいなら、そんな二兎の追い方もしているだろう。などと、考えていると自分の眼鏡がでてきた。

 

 

 

 

 

「おお、これが俺の眼鏡か!」

「やっぱり世界の見え方が変わるな!」

などとはしゃぐことはなかった。当たり前だ、どうせ運転する時以外はつけるつもりはない。受け取ると、軽く会釈をして店を出た。

 

 

店が見えなくなるところまで来ると、一応掛けてみた。まぁまぁだった。

 

一応家に着くまで掛けた。

 

家に着いてからも一応掛けたまま、テレビを見たりした。

 

いつも以上に榎並アナがあたふたしているように見えた。

現代の哲学書「ヴィンランド・サガ」

ヴィンランド・サガ」が熱い。

現在、NHKでアニメが放送中なので名前ぐらいは聞いたことがある方も多いかと思う。「プラネテス」で有名な幸村誠さんの作品だ。

 11世紀ごろの北欧が舞台となっていて、主人公はトルフィンという少年なのだが、こいつがめちゃくちゃ愛想が悪くて、目つきが悪くて、髪がボサボサで全然風呂に入ってない。絶対臭い。

そしてこいつの人生の目標は「復讐」。そう、みんな大好き復讐マシーン主人公。イタチを憎み、それに飽きたら、木の葉を憎んだサスケ同様、トルフィンも父の仇アシェラッドを殺すことだけが生きがいマン。復讐が酸素と化している男。

物語の中ではヴァイキングという海賊みたいなやつらがいて、アシェラッドも同じくヴァイキングの一味を統率する頭なのだが、トルフィンは暗殺とか闇討ちではなく、正々堂々決闘でアシェラッドを殺したいので、アシェラッドのヴァイキングに属している。

つまり、アシェラッドを殺すために、アシェラッドの船に乗ってて、風呂に入ってないうちはサスケが主人公トルフィン。

 

 というのが、、、この物語のプロローグとなっている。

というのも、途中である出来事がきっかけとなり、主人公トルフィンの性格がガラリと変わる。いや、正確に言えばトルフィンを囲む環境がガラリと変わったので、それに応じてトルフィンの内面が変化していく。

しかしプロローグとは言っても、このプロローグに8巻が費やされる。

今確認したら、ドラゴンボールは8巻で桃白白と闘っていた。桃白白との死闘はプロローグらしい。ドントマインド桃白白。柱に乗って飛ぶくらいじゃ本ストーリーとは呼べないらしい。

なぜ8巻までをプロローグと言ってるかは読んでくれれば分かる。おそらく現在放送中のアニメはプロローグで終わる。

 

魅力

トルフィンの成長変遷がやばい。写真を少し見るだけでもヤバさが感じられるので見てみよう。

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これらが同一人物だとにわかには信じがたい。短期留学して帰ってきたら、急に日本のダメなところばかり言うようになるやつがいるが、そんな比じゃないレベルの変貌ぶり。国境をいくら越えようが、死線を越えた人間には敵わない。

1枚目と2枚目の変化を見ると心配になるが、冷静に考えると2枚目から3枚目の変化もある意味怖い。

 

 

最後に「ヴィンランド・サガ」の哲学性が垣間見える金言についてお話ししよう。

皆さんには大切に思う人がいるでしょうか?家族、恋人、友人と形は違えど、誰しも1人くらいいるだろう。そして、僕らはその大切に思う気持ちを、時に愛と呼ぶ。

では、ここで「ヴィンランド・サガ」に登場する神父の有り難き御言葉を引用させて頂く。

 

神父「彼は死んでどんな生者よりも美しくなった、愛そのものといっていい。彼はもはや憎むことも殺すことも奪うこともしません、すばらしいと思いませんか?彼はこのままここに打ち捨てられその肉を獣や虫に惜しみなく与えるでしょう。風にはさらされるまま、雨には打たれるまま、それで一言半句の文句も言いません。死は人間を完成させるのです」

クヌート王子「……愛の本質が…死だというのか」

神父「はい」

クヌート王子「…ならば親が子を…夫婦が互いを…ラグナルが私を大切に思う気持ちは一体何だ?」

神父「差別です、王にへつらい奴隷に鞭打つこととたいしてかわりません」

 

はい。愛ではありませんでした。差別でした。

この神父によれば人間には愛がないらしい。そんなことを言われた僕らはもう悟るしかない。もうこの言葉を聞いてからは、どんな恋愛ドラマも本来の意味を持たなくなる。だって正確には恋愛ドラマではないから、だれも恋も愛もしていないから。彼らが行なってるのは略奪と差別でした。僕ら人間は父と母の愛と性欲から生まれたのではなく、父と母の差別と性欲の末の産物でした。

とか意味不明な思考回路にいたります。いや、でもほんとにそういうことを言っている。

つまりこれは哲学書、漫画という形をとった現代の哲学書哲学書とか読んだことないけど、たぶんこういう難しいことを書いてるのをそう呼ぶはず。

 

僕の妹が夏目漱石にケンカを売っている

夏目漱石の名著「こゝろ」にこんな一節があります。

「 (略)しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。(略)」

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なるほど。

素晴らしいお言葉ですね。漱石さん。

さすが教科書に載るだけありますわ。

さすが斜め45°を眺めるだけありますわ。

 

しかしね、聞いて下さいよ。漱石さん。

少しだけ僕の話に付き合ってくれませんか。

僕も風呂上がりで髪を乾かしもせず、こうやって机の前に座ってるんです。

斜め下ばっか見てないで、僕の目を見て話を聞いて下さい。

 

さっきね、妹がね。なんだか騒いでたんですよ。

ああ、僕には二つ年の離れた、大学生の妹がいるんですよ。

分かりますよ、興味ないですよね。

でもまあ聞いて下さい、僕も前髪を濡らしたまま机に向かってるんですから、少しぐらい付き合って下さいよ。

普段は使わないカチューシャで邪魔な前髪をかき上げて、こうやってあなたに向かってるんですからほんの3分ぐらい良いじゃないですか。

 

まあ妹と呼ぶのも面倒なんでね、私は妹の名をここにMと呼んでおきます。

で、そのMが風呂から上がってくるなり、騒いでるというか、なんかキレてたんですよ。

ほんで何にキレてたかっていうとね、自分の下着が今着けたいやつじゃないとか言ってるんですよ。

なんのことだか分からないと思うので、もう少し説明を加えますね。

Mはね、いつも風呂上がりに着るもの全てをね、自分で用意するのではなく、母親に準備させるんですよ。

自分が入浴してる間に、風呂の前に置いとかせるんですよ。

これで彼女ね、大学生らしいですよ。

可笑しいでしょ? 

まあこれだけでもMは異常なんですがね、あろうことか、Mはその準備させた下着が、自分の思ってたのと違ってたからブチ切れてたんですよ。

ブチ切れですよ。ブチの切れです。

この状況でブチの切れできます?みなさん。

僕はできません。

これで彼女ね、大学生らしいですよ。

義務教育を3年以上前に終えてるんですって。

大学でなんか専門的なことを学んでるんですって。

ふざけんじゃねえよ。

てめえが今学ぶべきことはそんなことじゃねえ。

てめえが学ぶのは母の愛だ。

とりあえず「明日、ママがいない」を全話見ろ。

韓流恋愛ドラマを見ていいのはそっからだ。

 

僕はもうね悲しくなっちゃったんですよね。

悲しみのあまり、こうやって濡れた髪をカチューシャで応急処置的に押さえて、ここで嘆いているんです。

 

漱石さん、ホントに平生はみんな善人なんですか?

僕は違うと思いますよ。

Mは鋳型に入れたような悪人ですよ。

Mに比べれば、「こゝろ」に登場する先生の叔父さんなんか鼻くそですよ。

Mがフリーザレベルの悪なら、叔父さんはキュイとかですよ。

覚えてます?キュイ

 

何が一番悲しかったってね、Mが風呂に入っている間に、準備をしていた母はね、Mの部屋に電気を付けずに入ったもんだから、散らかった床に無造作に転がる鞄の金具を踏んでしまって、とても痛がってたんですよ。

それを知ってる僕はMの怒りの声を聞いてると胸が張り裂けそうになりましたよ。

 

とまあ、こんなことばかり言ってたら、また妹の野郎がなんかキレて騒いでますわ。

うん、なんだなんだ、うん、うん。

なるほどね。

はいはい分かりました。

 

今度はなんかね、カチューシャがねえとか言ってキレてますわ。

 

こころ (集英社文庫)

こころ (集英社文庫)

 

【小説感想】「水車館の殺人」で己の推理力を測れ!《83点/100点》

 

水車館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)

水車館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)

 

あらすじ

仮面の当主と孤独な美少女が住まう異形の館、水車館。1年前の嵐の夜を悪夢に変えた不可解な惨劇が、今年も繰り返されるのか? 密室から消失した男の謎、そして幻想画家・藤沼一成の遺作「幻影群像」を巡る恐るべき秘密とは……!? 本格ミステリ復権を高らかに謳(うた)った「館」シリーズ第2弾、全面改訂の決定版!

『水車館の殺人 <新装改訂版>』(綾辻 行人):講談社文庫|講談社BOOK倶楽部

 

感想(ネタバレ注意)

突然ですが、皆さんはムチで叩くのが好きですか?

それとも叩かれるのが好きですか?

僕は叩かれるのが好きです。

キムチと同じくらい好きです。

ガッキーと同じくらい好きです。

つまり僕の人生の最終目標はキムチを食べながら、ガッキーにムチで叩かれることです。

かみ砕いて言うと僕はMだということです。

 

しかしミステリに関して言えば、僕はSです。

何言ってるか分かりますか?

分からないでしょ?

意味不明でしょ?

説明しましょう。

 

ミステリの醍醐味とは何か?

それは騙されること推理することです。

世の中には多種多様な変態が存在するわけで、推理小説を読み、騙されることが快感だとのたまう変態もいます。

そう、彼らはミステリという分野においてMなのです。

変態ですよね。

対照的に、推理小説を読みながら、とにかく犯人を当ててやろう、トリックを見抜いてやろう、などばかり考え、それが的中することに快感を覚える変態がSです。

この変態の1人が僕です。

 

綾辻行人さんの館シリーズの第一作目「十角館の殺人」には、そういう意味で言えば騙されることの快感が異常に含まれています。

ミステリにおいてSの僕でもあれを読むと、自分の中のミステリMが暴れ出しそうになります。

あのトリックは衝撃的です。

超攻撃性のムチです。

グリンガムのムチですよ。

 

しかしそれとは対照的にSの人には「水車館の殺人」が合っているのではないかと思われます。

 

なぜか?

トリックが鬼のように緻密だからです。

推理しがいがあるのです。

Sの人は普段強気な人ほどムチで叩く時に興奮すると言います。

それと同じです。

緻密に作られた推理小説ほどミステリのSには興奮するのです。

 

しかも、「水車館の殺人」はそういう謎解きしたい人を歓迎してる節があります。

十角館で騙された身としては、「水車館の殺人」を読むときにどうしても力が入る。

絶対に謎を解いてやろう、犯人を当ててやろうと意気込みながら読みます。

けれど、この小説はそんな大枠だけではなく、細部にいたるまで推理してみろ!と読者に挑発しているかのごとく、精密に作り込まれ、かつヒントが所々にあります。

ただ騙すだけのミステリではなく、なんとなく犯人が分かった人のためにも、その先を推理できるように様々な情報がちりばめられているのです。

登場人物の性格、何気ない風景描写、いかにもな姿をした館の主人、そして物語の構成、全てにちゃんと意味があります。

それをどれだけ見抜き、どこまで推理できるか?

そんなミステリの醍醐味が詰まった一冊です。

 自分の推理力、自分のS力を試したい人にオススメです。