現代の哲学書「ヴィンランド・サガ」
「ヴィンランド・サガ」が熱い。
現在、NHKでアニメが放送中なので名前ぐらいは聞いたことがある方も多いかと思う。「プラネテス」で有名な幸村誠さんの作品だ。
11世紀ごろの北欧が舞台となっていて、主人公はトルフィンという少年なのだが、こいつがめちゃくちゃ愛想が悪くて、目つきが悪くて、髪がボサボサで全然風呂に入ってない。絶対臭い。
そしてこいつの人生の目標は「復讐」。そう、みんな大好き復讐マシーン主人公。イタチを憎み、それに飽きたら、木の葉を憎んだサスケ同様、トルフィンも父の仇アシェラッドを殺すことだけが生きがいマン。復讐が酸素と化している男。
物語の中ではヴァイキングという海賊みたいなやつらがいて、アシェラッドも同じくヴァイキングの一味を統率する頭なのだが、トルフィンは暗殺とか闇討ちではなく、正々堂々決闘でアシェラッドを殺したいので、アシェラッドのヴァイキングに属している。
つまり、アシェラッドを殺すために、アシェラッドの船に乗ってて、風呂に入ってないうちはサスケが主人公トルフィン。
というのが、、、この物語のプロローグとなっている。
というのも、途中である出来事がきっかけとなり、主人公トルフィンの性格がガラリと変わる。いや、正確に言えばトルフィンを囲む環境がガラリと変わったので、それに応じてトルフィンの内面が変化していく。
しかしプロローグとは言っても、このプロローグに8巻が費やされる。
今確認したら、ドラゴンボールは8巻で桃白白と闘っていた。桃白白との死闘はプロローグらしい。ドントマインド桃白白。柱に乗って飛ぶくらいじゃ本ストーリーとは呼べないらしい。
なぜ8巻までをプロローグと言ってるかは読んでくれれば分かる。おそらく現在放送中のアニメはプロローグで終わる。
魅力
トルフィンの成長変遷がやばい。写真を少し見るだけでもヤバさが感じられるので見てみよう。
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これらが同一人物だとにわかには信じがたい。短期留学して帰ってきたら、急に日本のダメなところばかり言うようになるやつがいるが、そんな比じゃないレベルの変貌ぶり。国境をいくら越えようが、死線を越えた人間には敵わない。
1枚目と2枚目の変化を見ると心配になるが、冷静に考えると2枚目から3枚目の変化もある意味怖い。
最後に「ヴィンランド・サガ」の哲学性が垣間見える金言についてお話ししよう。
皆さんには大切に思う人がいるでしょうか?家族、恋人、友人と形は違えど、誰しも1人くらいいるだろう。そして、僕らはその大切に思う気持ちを、時に愛と呼ぶ。
では、ここで「ヴィンランド・サガ」に登場する神父の有り難き御言葉を引用させて頂く。
神父「彼は死んでどんな生者よりも美しくなった、愛そのものといっていい。彼はもはや憎むことも殺すことも奪うこともしません、すばらしいと思いませんか?彼はこのままここに打ち捨てられその肉を獣や虫に惜しみなく与えるでしょう。風にはさらされるまま、雨には打たれるまま、それで一言半句の文句も言いません。死は人間を完成させるのです」
クヌート王子「……愛の本質が…死だというのか」
神父「はい」
クヌート王子「…ならば親が子を…夫婦が互いを…ラグナルが私を大切に思う気持ちは一体何だ?」
神父「差別です、王にへつらい奴隷に鞭打つこととたいしてかわりません」
はい。愛ではありませんでした。差別でした。
この神父によれば人間には愛がないらしい。そんなことを言われた僕らはもう悟るしかない。もうこの言葉を聞いてからは、どんな恋愛ドラマも本来の意味を持たなくなる。だって正確には恋愛ドラマではないから、だれも恋も愛もしていないから。彼らが行なってるのは略奪と差別でした。僕ら人間は父と母の愛と性欲から生まれたのではなく、父と母の差別と性欲の末の産物でした。
とか意味不明な思考回路にいたります。いや、でもほんとにそういうことを言っている。
つまりこれは哲学書、漫画という形をとった現代の哲学書。哲学書とか読んだことないけど、たぶんこういう難しいことを書いてるのをそう呼ぶはず。